ふつう を少し考えてみる

先週 知り合いから
「ふつう って何?」
「あなたは ふつう?」
という 質問とも感想とも取れる
話をうけた。

ご本人は忘れているかもしれないが
答えるのが難しい 
つまり考えるのに値するテーマなので
少し 考えてみたい。

当たり前だけど
100人いたら100通りの答えがあるので
僕自身のオリジナルを誠実に探してみたい。

現在 統計を使う仕事をしていて
あるデーター群で 
何が普通で何が異常なのかを
「科学的な知見」から
判断するコトがよくある。

この仕事を始めた頃
データー群を代表する値は
いちいち考えなくても一定のルールがあるのだろうと
思っていた。
例えば、こういうケースでは平均値が代表値
あのパターンには最頻値(モード)が代表値 とか

詳しい人に尋ねたり、ものの本を読んだりしたが
残念ながら 明文化された知見はないのだ。

一方 異常値の扱いに関しては
ある程度方法論があるのが
現在の 統計という自然科学の立場だ。

では普通を判断するのはどうするか?
その都度データをグラフにして
集団の分布の中で
普通そうな代表値や範囲を 見つける
という作業が王道らしい。

あの綺麗な星?と聞かれて
宇宙の成り立ちから
小難しく説明している風になってしまいそうで
とてもツマラナいが
しばし辛抱を

考えてみると
異常は定義しやすく
ふつうは定義しにくい ということは
日常生活でも自然科学でも共通する
といえそうです。

これを単純に使うと
異常とは言えないコトやモノが
「ふつう」!
間違ってはいないのですが
これはトートロジーで 何も言ってないのと同じ。
そんなことを聞きたい訳じゃないですね

ではどうするか?
一般解ではなく 個別の問題で解いてみましょう
例えば
僕はふつうの人か?
これも抽象的すぎるので
具体的な条件を設定してみましょう

例えば
身長が172cmであったとすると
普通か?
たぶん普通でしょう
日本人男子の平均身長は172cm前後だそうです。
平均値に近いので普通でしょう。

オランダや北欧に行くと 平均より10cm低いので
日本よりは普通ではないのでしょう。

当たり前ですが
同じ僕という存在を
どこの集団でみるかで普通かどうかが変わってくる。

外形的にわかりやすい指標ですら
母集団との相対的比較になって
普通の定義が変わってしまい
とても不安定ですね。

ましてや 
自分の行動性行が普通かどうか という問いには
例えば
客体的な外形的な判断要素として
今まで逮捕とか起訴をされるようなコトはなかった
しか示せないし
主観として
自分では変わった所はあるけど奇人変人というほどでは
ないと思います として申告するのみ。

普通は
標本そのものはもとより
母集団と観察者毎に定義するしかない相対的なモノ。

だから
「自分では普通の部分が多いと思ってますが
普通でないと思うところがあれば
どういう所か教えて下さい。」と尋ねるのが
「ふつう」を僕とその知り合いの間で共有する唯一の方法
だと思います。

これが僕の結論です。
明快ではないがそう間違ってはないと考えます。

お望みの「ふつう」の範疇に入った
「ふつう」かどうかは わかりませんが。。。

では